《The Cypress Pillar(真木柱)》 "Goodbye, then." The emperor seemed genuinely regretful. "Do not let anyone tell you that because this has happened you must not come again. I was the first to be interested in you and I let someone else get ahead of me. It does not seem fair that he should remain unchallenged. But there we are. I can think of precedents." She was far more beautiful thin distant rumor had made her. Any man would have regretted seeing her go, and he was in a sense a rejected suitor. Not wishing her to think him light-headed and frivolous, he addressed her most earnestly and did everything he could to make her feel comfortable. She understood and, though awed, wished she could stay with him.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
自筆「源氏物語」の「真木柱(まきばしら)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。●極上和本YM2934●〈ひらがな両てん〉名字〈并〉仮名尽 江戸前期刊 稀書往来物 他に所蔵なし。
原文は「源氏物語・真木柱の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。芭蕉翁發句集 上下巻 五升菴蝶夢自序編 安永三年午年七月刋。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。日本の戦時財政と其の弾力性 昭15 日本外交協會秘密文書 大蔵大臣桜内幸雄 ガリ版 旧日本軍大日本帝國海軍太平洋戦争空軍海軍航空隊戦前NY。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。新版 盲安杖 鈴木正三 寛文四年三月吉日刋。現在の今上天皇と系譜がつながっている。●極上和本YM2656●今川之抄・増補今川抄・今川諺解大成(明暦板1種・寛文板2種の3冊)稀書往来物。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。神路の賑ひ 明治22年 初版 瀬戸清次郎 神宮教大坂本部版 14p。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。●極上和本YM2824●〈温故知新〉当流庸文章 稀書往来物 林山子 貞享3年・丸屋半兵衛ほか板。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。0024525 貞観政要 全10巻揃 帯屋伊兵衛 文政6年 南紀学習館蔵版 紀州和歌山。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。蘇軍の戦闘能力に就いて 現地報告 旧ソ連軍 昭14 日本外交協會秘密文書 ガリ版 旧日本軍 大日本帝國海軍太平洋戦争空軍海軍航空隊戦前NY。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。色葉字類抄・研究並びに索引・本文索引編/平安時代の古辞書。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。■『日本神代文字』常陸鹿嶋神社寶庫藏。栗田尚雄寛政九年(西暦1797年)精緻筆寫。帙入題簽欠。阿比留艸文字で以呂波四十七字を筆寫した物。。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。●極上和本YM2933●万字尽(大本・江戸前期)稀書往来物(木尽・花名・魚尽〈并貝尽〉・鳥尽・獣名・虫尽・青物・食物・菓子)。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。0019784 月瀬記勝 上下 斎藤拙堂 小型本 鹿田静七 明17。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。大坂新町細見之図 澪標。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。中華民国期 林徽因 信箋 1枚 検索: 詩人 写真 花箋 才女 唐本 漢籍 古文書 建築家 上海九華堂 木板刷 徐志摩 梁啓超 梁思成 北平 書家 水印。また、各巻ごとの書かれた年については不明。◎古文書・武蔵野国久良岐郡(横浜市南区上大岡)の千手院の明治~昭和初期の資料(年貢・帳簿・地券。従って、応永五年とは、書き始めの年である。つほのいしふみ 内題「似せ者の判」。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。尋常小学修身書 巻一(兒童用) 第二期国定教科書復刻版 昭和51年11月25日第九版発行。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。昭和七年・上海事変/歩三五補充隊/第一次上海事変/昭和7年満州事変から世界の目をそらすため日本の軍部が上海で起こした日中両軍の衝突事件。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。●極上和本YM2939●〈世話難字・頭書図尽〉曽我状絵抄(宝永5年)稀書往来物 他に所蔵なし 原装題簽付 美本。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。四書 5冊(P145)。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。0018142 諸名家戯文集 全 打越光亨・編輯 仮名垣魯文・閲。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。●極上和本YM2929●大坂進状(宝暦4年以前)稀書往来物。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。古書 全唐文 全20巻 大通書局 安値出品。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。A_文政5年1822年改正再版/小本/袖珍本/四書字引【全】昔の漢字辞典。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。本草薬名備考和訓鈔 七巻 初版初刻本。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。1928年 月画譜 珂羅版 検索⇒奇僧 画僧 寂照寺 山水画 人物絵 列仙図賛 耕織図 月僊画譜 寒山図 紙本絹本 居士 霊昭女図 円山派 涅槃図。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。1938年/日中戦争/満鉄/北京観光案内/古文書/当時物 検索:芦溝橋事変/満州帝国/関東軍/総督府/督軍/租界/洋行/公署/支那/新京/奉天/抗日。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。【貴重!美品流麗繊細絵入古書籍】豊臣昇瑞録 合戦国武将軍浮世絵本木版画信長の野望大阪城本能寺の変兜天皇関白徳川家康日本歴史中国朝鮮。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。支那写真大観・写真二百三十余収録・附最新全支鉄道図/昭和14年/北京天安門・北京宮殿・四川省重慶及漢口全景・四川省重慶及漢口全景。
出品した「源氏物語」は真木柱(まきばしら)の内容の要旨
「真木柱の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。燕都枝折 續編か 慶紀逸 硯田舎臺簫 川柳 112-1-2。第31帖。含章齋兵法書 築城心得・山城國并人數配・城取雜記/五賜七刑切紙/城取追加狭間圖式。尚侍(ないしのかみ)として宮廷に出仕を控えていた玉鬘の姫君だったが、その直前に髭黒大将が女房の手引きで強引に結婚することになった。0026360 月瀬記勝 乾坤 2冊 斉藤拙堂 明治14年 津藩。髭黒大将はその後玉鬘の姫君を迎えるために邸の改築に取り掛かる。里村紹巴自筆消息幅 能札宛 紹巴が旅先から北野神社の社僧で連歌師の能札に宛てた書状。だが、その様子を見た北の方(髭黒大将の正室)は絶望し香炉の灰を髭黒大将に浴びせる。茶之湯三伝集・2冊/遠藤元閑/元禄八年/此書三伝集は千宗易利休居士古田織部正小堀遠州三代宗○伝来善之要なる物を頗る蒐集/江戸期和本。この事件で完全に北の方に愛想を尽かした髭黒大将は玉鬘の姫君に入り浸り、とうとう業を煮やした北の方の父・式部卿宮は、髭黒大将の留守の間に北の方と子供たちを迎えにやる。@1902年 衆議院議員人名録 岩本幾平誌 筆書 肉筆 117年前 検索: 写本 写経 手書 毛筆 古文書 当時物 本物保証 和本 和紙 在銘 落款 明治期。明けて新年、相変わらず塞ぎこんでいる玉鬘の姫君に髭黒大将もようやく出仕を許す気になり、玉鬘の姫君は華々しく参内する。欽定前漢書 全12冊揃いセット(1-100巻) 光緒甲辰(=光緒30年/1904年) 武林竹簡斎三次石印 /唐本。早速訪れた冷泉帝は噂以上の玉鬘の姫君の美しさに魅了されて熱心に想いを訴え、それに慌てた髭黒大将は退出をせきたててそのまま玉鬘の姫君を自邸へ連れ帰ってしまった。●極上和本YM2884●〈冠注〉理学津梁〈一名、新実語教〉A 手島堵庵 上河淇水 天明2年・淡海治郎吉ほか板 石門心学。
自筆右下四つの印のうち下2つは、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印、上2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。通信区画便覧 第五巻 第5巻 広島区内(鳥取.島根.岡山.広島.山口.香川.愛媛県)。
原本自筆上部には、「年光東流水」(年光東流の水)漢文の篆書印が押捺されている。0026106 冠辞考 全10冊揃 賀茂真淵 秋田屋勘右衛門 寛政7年 伊丹屋善兵衛。白楽天の有名な漢詩です。高田町史 昭和8年 初版 高田町教育会 良書刊行会 和綴。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。●極上和本YM2765●後千字文(宝暦6年)異種千字文 安井其名 林鳳谷 宝暦6年 明井仁右衛門板 稀書往来物。「源氏物語」真木柱の巻の原文中には、「おほつかなき月日も重なりぬるを」とあります。北越雪譜 二編四巻 春・夏・秋・冬 鈴木牧之 著 京水百鶴 画。源氏の君が恋する玉鬘の姫君への懐かし想いを記したものです。《古本》 えほん百科 全6巻 平凡社。現代語訳では、「お逢いしないうちに月日も重なってしまいました」というものです。●極上和本YM2803●万宝女節用罌粟嚢 女節用家宝大成 女節用集罌粟嚢家宝大成 享保6年 山本序周 稀書往来物・辞書 節用集 原装題簽付・美本。紫式部が「真木柱」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。拾遺 続江戸砂子 享保21年版 1,2,5巻計3冊 1巻程度特に悪し。詳細な理由は下記説明欄に記載。0026279 官版 孝義録 26冊 堀野屋儀助 文化5年 孝行者 寄特者 忠義者 貞節者 農業出精。
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。小村雪岱装丁本特集 日本遊里史 上村行彰 小村雪岱 初版オリジナル函 昭和4年 春陽堂 売春 遊女 花魁 吉原 風俗 芸者 芸妓 遊郭 木版装。
「自筆原本」
自筆右下の2つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。華夷通商考 上下巻 長崎西川忠英如見子誌 元禄八年三月刋 寶永五年刋『増補 華夷通商考』全五册の傳本多かれども元禄八年初板傳本は稀。
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。1938年/戦時/宣言/古文書 検索:支那/七七/事変/蒋介石/国民党/汪精衛/維新政府/満蒙/満州帝国/日中戦争/関東軍部/中支/武動/銃後/総督府。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。【旧家蔵出し】★古書『漢詩講座 全5冊』昭和11年 臨江詩閣★(うぶだし/古文書/漢詩/和歌/和綴じ本/活版印刷/当時物)。
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
《心さしの、人に》・・・・・をく(後)れて、けしき(気色)とり
したか(従)ふよ。新版 薬種名寄帳。むかし(昔)のなにかし(某)かためし(例)も
ひ(引)きい(出)てつへきこゝち(心地)なんする」とて、
まことにいとくち(口)お(惜)しとおほ(思)しめ(召)したり。絶版本/昭和天覧試合/1930年 検索:武道/剣道範士/柔道/空手/居気道/武士道/軍国日本/陸軍元帥大将/海軍元帥/武具/馬具/装身具/刀剣術武術。
き(聞)こしめ(召)しゝにもこよなきちか(近)まさりを、
はし(初)めよりさる御心なからんにてたにも、御らん(覧)し
す(過)くすましきを、まいていとねたうあ(飽)かすおほ(思)さる
されと、ひたふるにあさ(浅)きかた(方)に思ひうとまれしとて、
いみしう心ふか(深)きさま(様)にのたま(宣)ひちき(契)りて
なつけ給ふもかたしけなう、我はわれ(我)と思ふものをと
おほ(思)す。●極上和本YM2681●大和小学(山崎闇斎・万治3年初版・上村四郎兵衛板)初板本は稀書 美本往来物 女訓書。御てくるま(輦車)よ(寄)せて、
こなたかなたの御かしつき人ともこゝ・・・・・《ろもとなかり》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。●極上和本YM2678●女芸文三才図会(5冊揃・天保12年)3代目吉文字屋市兵衛 鳥飼酔雅 稀書往来物 ゆうパック着払い。
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
《大雪の日・玉鬘の君の邸に行こうとする大将の装束に香をたく北の方(正室)》
《髭黒大将の北の方、大将に背後から香炉の灰をふりかける有名な場面》
《冷泉天皇、玉鬘の姫君に愛の心情を告白》
《冷泉天皇、玉鬘の姫君に愛の心情を告白、髭黒大将、玉鬘の姫君を宮中から退出させる》
《帝(冷泉天皇)は、
(冷泉天皇)「そういうことなら仕方がない。西伯利亜出征記念写真帖/シベリア出征記念写真帖/青島三船写真館発行/大正8年/第七師団藤井中小閣下/ロシア革命に対する干渉戦争の一つ。
これに懲(こ)りてもう二度と参内(さんだい)させないと言い出す人があっても困るから。●極上和本YM2885●〈冠注〉理学津梁〈一名、新実語教〉B 手島堵庵 上河淇水 天明2年・淡海治郎吉ほか板 石門心学。
なんともつらいことよ。画本虫撰 下巻 喜多川歌麿画 文政癸未(六年)八月刋。誰よりもまずあなたを思っていたのに、先を越されて、
今ではその人の》・・・・・ご機嫌とりに汲々(きゅうきゅう)としているのだからね。Y3E2-240603 レア[四書 1~4 まとめて4冊セット 学庸・論語・孟子 上下 浪華書肆 文栄堂 積玉圃 柳原喜兵衛]。
昔の誰やらの例を引合いに出したくなるような心地がする」
とおっしゃって、帝(冷泉天皇)は、心底から残念なこととお思いあそばす。緑柳五ヶ國草紙 上下巻 草双紙 山亭秋信作 歌川國綱画。
帝(冷泉天皇)は、かねてお耳にしていらっしゃったよりも、
実際にごらんにあそばすとまたとない尚侍の君(玉鬘の姫君)の美しさに、
はじめからそうしたお気持がなかったとしても、このままお見過しにはなれなかったであろう。【一部写本の可能性あり】 論語徴 10冊セット(甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸) 物茂卿(荻生徂徠) 東都書林 松本新六・善兵衛 発行年不明。
それだけになおさらのこと、じつにいまいましく、おあきらめになれない。江戸期和本■本願寺聖人親鸞伝絵 (御伝絵畧解)■揃2帖 仏書。
さればとて、ただ向こう見ずのあさはかな心ととられ見向きもされないことのないようにと、
たいそう懇(ねんご)ろに奥ゆかしく後々のことをお約束になり、
やさしくしてくださるにつけても、尚侍の君(玉鬘の姫君)は
(玉鬘の姫君)「畏(おそ)れ多くて、自分はどうしたらよいのか
定めなく夢路をさまようような身の上なのに」
とお思いになっている。和本 箋註蒙求 上・中・下 3冊。
御輦車(てぐるま)を寄せて、お二方(源氏の君と内大臣)の大臣家
からのお迎えの人たちも、・・・・・《早くご退出をとやきもきし、大将(髭黒大将)も
なにかとやかましくそばからおせきたてになるまで帝(冷泉天皇)は
尚侍の君(玉鬘の姫君)から離れることがおできになれない。1810年 印譜 金石篆刻 印存 書道 封泥 朱印 雅印 遊印 雅号印 石鼓文 金文 篆印 官印私印 将軍印 落款印 花押 支那 唐本漢籍 呉昌碩 鄧石如。》
備考・髭黒大将の北の方(大将の正室)は、紫の上の異母姉
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。北蝦夷余誌■松浦武四郎■多気志樓蔵板。
《The Cypress Pillar(真木柱)》
"Goodbye, then."
The emperor seemed genuinely regretful.
"Do not let anyone tell you that because this has happened
you must not come again.
I was the first to be interested in you and I let someone
else get ahead of me.
It does not seem fair that he should remain unchallenged.
But there we are. I can think of precedents."
She was far more beautiful thin distant rumor had made her.
Any man would have regretted seeing her go,
and he was in a sense a rejected suitor.
Not wishing her to think him light-headed and frivolous,
he addressed her most earnestly and did everything
he could to make her feel comfortable.
She understood and, though awed, wished she could stay with him.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《真木柱》
我已成从前的文平了!”他真心地惜。天安門の六月/夏之炎 検索:天安門事件/民主主義/学潮/六四学運/胡耀邦/鄧小平/李鵬/楊尚昆/軍隊戒厳令民運/真実/報道/生写真/趙紫陽/鎮圧。
以前玉鬘貌美,在眼其人,他得比更美。@漢文 古籍 文字蒙求 検索: 唐本 漢籍 支那 玉扣 善本 線装本 木版刷 木刻本 竹紙 筒子頁 水印 殿本 套印本 木板印 宣紙 白棉紙 清朝 内府。
即使以前不曾有恋慕之心,了也不肯放;
何况曾有此心,安得不嫉怨恨?
然而一味求,深恐被玉鬘看成浅薄而弃他。絵図 (城郭図) 兵庫県 但馬國 出石城(レターパックライト発送)。
因此便装出流雅的姿,和立盟誓,使心悦服。骨董・龍門・拓本 :古書・書道 ID ㉓。
玉鬘惶恐,想道:“‘梦境迷我不知’
呀!”已准好。淡路国名所図会・5冊/暁鐘成編・松川半山・浦川公左画/昭和9年/淡路国風景/天皇皇后陛下へ献上済・由良要塞司令部検閲済/和装本/図版豊富。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」真木柱の巻の末尾(原本番号40-B)の押印。戦前雑誌/日本及日本人/1931年 検索:絶版/関東軍生写真/満洲事変軍事地図/鉄道総督府/関東庁/新京奉天/支那/拓殖局/台湾/満鉄/満蒙古朝鮮。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。おくのほそ道 松尾芭蕉著 寛政元歳酉仲秋再板。冬姫は内大臣・通誠の養女。頭書間註 普勧座禅儀 座禅用心記 合巻 吉田義山 編。
冬姫は通称。日露戦役海軍写真集・第3集・海軍省認可/50図/明治38年/The Russo-Japanese Naval War Album/皆開戦以来我が海軍の戦闘及び運動の光景/日英。正式な名は伊達貞子。●極上和本YM2780●〈和訓〉近道子宝(初板本系後印・須原屋板)平井自休作 観樹堂松隠書 初板本は稀書往来物。
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。【旧家蔵出し】★古書『瓶華図 まとめて18枚』明治期 池坊専明 池坊専正★(検:うぶだし/古文書/生け花/華道/木版画/当時物)-2。
表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。●極上和本YM2914●〈首書〉今川絵抄〈御家流ひらがな〉元禄頃 本問屋喜右衛門板 稀書往来物。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(真木柱の巻)MRI 31―31A
「源氏物語」真木柱の巻の絵の資料
下記写真は、髭黒大将の北の方(正室)が大将の香炉の灰を浴びせる画面の絵
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。【貴重!江戸期繊細流麗武者絵入 美品】繪本豊臣武勲紀 合戦国武将軍浮世絵本木版画信長の野望大阪城本能寺の変兜徳川家康日本歴史中国朝鮮。
「年光東流水」(年光東流の水)漢文の篆書印が押捺されている。▲仏教本▲釋勝如▲戦前▲昭二▲古書▲貴重▲資料▲。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。利休茶湯秘傳書・利休茶湯書・2冊/片桐宗幽/利休七荘秘傳茶湯書/元禄十年/江戸期和本。白楽天の有名な漢詩です。歴史写真10冊/日支事変特集号/満州事変特集号/戦時資料/昭和7年。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。■歴史書 寛文3年 1663年 耕隠客書■林鵞峯 著 日本王代一覧 全七冊。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。●極上和本YM2676●〈新板〉女諸礼集(延宝3年・本屋清左衛門ほか板)*2丁落丁につき特価 ゆうパック着払い。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。アジア写真集・全6冊/南太平洋諸島・南海の明暗・熱帯植物産業写真集・印度・満州農業図誌・朝鮮博覧会記念写真帖/貴重写真資料の宝庫です。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。●極上和本YM2675●江戸和本●〈貞節教訓〉女式目(寛延4年)稀書往来物。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。詩韻活法 乾 坤 瀧川 昇 明治十三年。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。●極上和本YM2764●累用字尽[新用字尽]江戸前期刊 早印本 山本長兵衛板 稀書往来物。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。A_津軽旧士族蔵出文政3古言梯/再考増補標註/楫取魚彦/今津屋辰三郎。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。防長名蹟・山口県写真帖/明治41年/写真師・麻生亮/山口県庁・歩兵第42連隊・豊栄神社・山口高等商業学校・東行庵・住吉神社・御幸松/和装本。撮影後、展示のために再表装をしております。●極上和本YM2671●便用謡(享保8年)稀書 謡曲 往来物 三浦久之丞庚妥 多彩な知識・教養を15曲の謡曲に綴った小謡本兼往来物。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。高崎連隊小史・明治40年2月19日・足尾派遣大隊詳報/復刻版・限定500部・非売品/中山 巳代蔵知事は第一師団長・閑院宮載仁親王に出兵を要請。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。●極上和本YM2779●〈和訓〉近道子宝(初板本系早印・柳屋板)平井自休作 観樹堂松隠書 初板本は稀書往来物。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。福寿経綸録 容有子 天明元年 政治学国政論国学 検)仏教神道 本居宣長 戦前明治大正古書和書古文書写本古本OM。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。赤穂義人録補正・乾坤・室鳩巣直清著・国枝惟熈補註・明治5年/赤穂四十七士伝・上下・青山延光伯卿・水戸の藩校弘道館教授・嘉永・和装本。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。【流麗・稀少!江戸期木版画和書】唐歌撰図抄等検中国儒教儒学孔子張子容陳祐王烈漢詩侍合戦国武将軍武者絵入浮世絵本天皇仏教古書籍歌舞伎。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。●極上和本YM2767●消息詞[為長卿消息詞]寺沢政辰 正徳4年 野田太兵衛ほか板 稀書往来物 美本。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。松風清社煎茶方式 乾・坤 煎茶道。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。蒙古襲来絵詞・4冊/大正5年/水野土佐守忠央の丹鶴叢書所収のものを基とし菊池容齋の控本を以て補修し帝室御物により校訂を加へ彩色を施せり。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。倭節用悉改袋増字 俟野通尚 纂補 西川祐信 遺筆 法橋西村中和 速水春暁斎 画 等 倭節用悉改袋。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。★絵銭譜 乾・坤 2冊★ワールドコインサービス 昭和41年★小泉健男。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。今川了俊愚息仲秋制詞之條々 商売往来の原作者流水軒観中筆。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。●極上和本YM2813●〈民家少年〉七福神利生伝 心学 段塚六郎左衛門作 文化7年 蓍屋宗八板 原装題簽付 稀書。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。●極上和本YM2815●女四書(明暦2年板・原装7冊本)辻原元甫作 往来物・仮名草子 美本 稀書 ゆうパック着払い。母は後水尾天皇皇女女二宮。新板 曽呂里はなし 怪異小説の一源流 怪談 曾呂里物語。実母は近衛家女房(瑤林院)。ソ軍戦闘法図解・4冊/偕行社/秘・関東軍研究書/昭和16年/軍J。幼名は多治丸。【稀少!江戸期 繊細・流麗絵入多数 仏教書】親鸞聖人御壱代紀圖繪 検浄土真宗本願寺一向宗軍記浮世絵合戦国武将軍武者絵本木版画法然上人。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。Y-0111 建武中興を中心としたる信濃勤王史攷 復刻版 上巻・下巻 2冊セット 信濃史学会 昭和52年12月10日/昭和53年7月31日復刻。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。1936年 影本 集字聖教序 王義之 検索⇒珂羅版 玻璃版 旧拓 書道法帖 支那 印譜 法書 金石篆刻 王鐸 呉昌碩 原拓本 摩崖石刻 黄庭堅 趙子昴。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。干禄字書 唐/顔元孫 宝永四年跋。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。●極上和本YM2883●莫妄想 石門心学 石田梅岩仮託 稀書。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。0026842 【和本 育児書】 聞驚都計子(ぶんきょうつけこ)五損道人 文政13年 17丁。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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