《New Herbs Part Two(若菜・下)》 《Even when her anger seemed justified it lasted too long,》・・・ ・・・・ and her jealousy was more than a man could be asked to endure. The tensions went on with no relief, and the reservations on both sides made easy companionship quite impossible. I stood too much on my dignity, I suppose. I thought that if I gave in she would gloat and exult. And so it ended. I could see how the gossip hurt her and how she condemned herself for conduct which she thought unworthy of her position, and I could see that difficult though she might be I was at fault myself. It is because I have so regretted what finally happened that I have gone to such trouble for her daughter. I do not claim all the credit, of course. It is obvious that she was meant all along for important things.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)下」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。●極上和本YM2934●〈ひらがな両てん〉名字〈并〉仮名尽 江戸前期刊 稀書往来物 他に所蔵なし。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。芭蕉翁發句集 上下巻 五升菴蝶夢自序編 安永三年午年七月刋。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。日本の戦時財政と其の弾力性 昭15 日本外交協會秘密文書 大蔵大臣桜内幸雄 ガリ版 旧日本軍大日本帝國海軍太平洋戦争空軍海軍航空隊戦前NY。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。新版 盲安杖 鈴木正三 寛文四年三月吉日刋。現在の今上天皇と系譜がつながっている。●極上和本YM2656●今川之抄・増補今川抄・今川諺解大成(明暦板1種・寛文板2種の3冊)稀書往来物。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。神路の賑ひ 明治22年 初版 瀬戸清次郎 神宮教大坂本部版 14p。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。●極上和本YM2824●〈温故知新〉当流庸文章 稀書往来物 林山子 貞享3年・丸屋半兵衛ほか板。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。0024525 貞観政要 全10巻揃 帯屋伊兵衛 文政6年 南紀学習館蔵版 紀州和歌山。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。蘇軍の戦闘能力に就いて 現地報告 旧ソ連軍 昭14 日本外交協會秘密文書 ガリ版 旧日本軍 大日本帝國海軍太平洋戦争空軍海軍航空隊戦前NY。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。色葉字類抄・研究並びに索引・本文索引編/平安時代の古辞書。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。■『日本神代文字』常陸鹿嶋神社寶庫藏。栗田尚雄寛政九年(西暦1797年)精緻筆寫。帙入題簽欠。阿比留艸文字で以呂波四十七字を筆寫した物。。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。●極上和本YM2933●万字尽(大本・江戸前期)稀書往来物(木尽・花名・魚尽〈并貝尽〉・鳥尽・獣名・虫尽・青物・食物・菓子)。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。0019784 月瀬記勝 上下 斎藤拙堂 小型本 鹿田静七 明17。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。大坂新町細見之図 澪標。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。中華民国期 林徽因 信箋 1枚 検索: 詩人 写真 花箋 才女 唐本 漢籍 古文書 建築家 上海九華堂 木板刷 徐志摩 梁啓超 梁思成 北平 書家 水印。また、各巻ごとの書かれた年については不明。◎古文書・武蔵野国久良岐郡(横浜市南区上大岡)の千手院の明治~昭和初期の資料(年貢・帳簿・地券。従って、応永五年とは、書き始めの年である。つほのいしふみ 内題「似せ者の判」。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。尋常小学修身書 巻一(兒童用) 第二期国定教科書復刻版 昭和51年11月25日第九版発行。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。昭和七年・上海事変/歩三五補充隊/第一次上海事変/昭和7年満州事変から世界の目をそらすため日本の軍部が上海で起こした日中両軍の衝突事件。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。●極上和本YM2939●〈世話難字・頭書図尽〉曽我状絵抄(宝永5年)稀書往来物 他に所蔵なし 原装題簽付 美本。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。四書 5冊(P145)。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。0018142 諸名家戯文集 全 打越光亨・編輯 仮名垣魯文・閲。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。●極上和本YM2929●大坂進状(宝暦4年以前)稀書往来物。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。古書 全唐文 全20巻 大通書局 安値出品。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。A_文政5年1822年改正再版/小本/袖珍本/四書字引【全】昔の漢字辞典。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。本草薬名備考和訓鈔 七巻 初版初刻本。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。1928年 月画譜 珂羅版 検索⇒奇僧 画僧 寂照寺 山水画 人物絵 列仙図賛 耕織図 月僊画譜 寒山図 紙本絹本 居士 霊昭女図 円山派 涅槃図。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。1938年/日中戦争/満鉄/北京観光案内/古文書/当時物 検索:芦溝橋事変/満州帝国/関東軍/総督府/督軍/租界/洋行/公署/支那/新京/奉天/抗日。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。【貴重!美品流麗繊細絵入古書籍】豊臣昇瑞録 合戦国武将軍浮世絵本木版画信長の野望大阪城本能寺の変兜天皇関白徳川家康日本歴史中国朝鮮。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。支那写真大観・写真二百三十余収録・附最新全支鉄道図/昭和14年/北京天安門・北京宮殿・四川省重慶及漢口全景・四川省重慶及漢口全景。
出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)下」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。燕都枝折 續編か 慶紀逸 硯田舎臺簫 川柳 112-1-2。若菜・下の巻名は朱雀院(前朱雀天皇)の五十の御賀があり、源氏の君はその賀宴を「このたび足りたまはん年、若菜など調(てう)じてや」に因む。含章齋兵法書 築城心得・山城國并人數配・城取雜記/五賜七刑切紙/城取追加狭間圖式。柏木は朱雀院(前朱雀天皇)皇女で源氏の君の正室に降嫁した女三の宮へのかなえられない恋に煩悶する。0026360 月瀬記勝 乾坤 2冊 斉藤拙堂 明治14年 津藩。四年の歳月が経過。里村紹巴自筆消息幅 能札宛 紹巴が旅先から北野神社の社僧で連歌師の能札に宛てた書状。冷泉天皇は在位十八年にして東宮に譲位し今上天皇として即位した。茶之湯三伝集・2冊/遠藤元閑/元禄八年/此書三伝集は千宗易利休居士古田織部正小堀遠州三代宗○伝来善之要なる物を頗る蒐集/江戸期和本。翌年、朱雀院(前朱雀天皇)と女三の宮との対面を企画し五十の賀宴が催されることになった。@1902年 衆議院議員人名録 岩本幾平誌 筆書 肉筆 117年前 検索: 写本 写経 手書 毛筆 古文書 当時物 本物保証 和本 和紙 在銘 落款 明治期。源氏の君は六条院の女たちによる「女楽」による演奏の宴を開いた。欽定前漢書 全12冊揃いセット(1-100巻) 光緒甲辰(=光緒30年/1904年) 武林竹簡斎三次石印 /唐本。柏木は、女三の宮の姉・女二の宮を正室に迎えたが、女三の宮への未練を断ち切れずにいる。●極上和本YM2884●〈冠注〉理学津梁〈一名、新実語教〉A 手島堵庵 上河淇水 天明2年・淡海治郎吉ほか板 石門心学。葵祭りの前日、柏木は源氏の君の不在時に小侍従の手引きにより女三の宮と逢瀬をした。通信区画便覧 第五巻 第5巻 広島区内(鳥取.島根.岡山.広島.山口.香川.愛媛県)。夏のある日、源氏の君は女三の宮の体調不良の原因がご懐妊と知り、不審を抱いた源氏の君が柏木から女三の宮あての手紙から柏木と女三の宮の密事が発覚する。0026106 冠辞考 全10冊揃 賀茂真淵 秋田屋勘右衛門 寛政7年 伊丹屋善兵衛。(女三の宮の子がのちの薫の君)源氏の君、41歳から47歳までを描いている。高田町史 昭和8年 初版 高田町教育会 良書刊行会 和綴。
自筆上部の「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。●極上和本YM2765●後千字文(宝暦6年)異種千字文 安井其名 林鳳谷 宝暦6年 明井仁右衛門板 稀書往来物。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。北越雪譜 二編四巻 春・夏・秋・冬 鈴木牧之 著 京水百鶴 画。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
「若菜・下」の巻は英文で「New Herbs Part Two」と表記されます。《古本》 えほん百科 全6巻 平凡社。
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。●極上和本YM2803●万宝女節用罌粟嚢 女節用家宝大成 女節用集罌粟嚢家宝大成 享保6年 山本序周 稀書往来物・辞書 節用集 原装題簽付・美本。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来している。拾遺 続江戸砂子 享保21年版 1,2,5巻計3冊 1巻程度特に悪し。「若菜・下」では在位十八年の冷泉帝が譲位し、これにつれて太政大臣が致仕する。0026279 官版 孝義録 26冊 堀野屋儀助 文化5年 孝行者 寄特者 忠義者 貞節者 農業出精。原文には、「かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠(かふふり)を懸(か)けむ」と記されており、「白氏文集」の漢詩文からの引用である。平家物語 欠品あり 11冊セット(全12巻のうち第12巻が欠品) おそらく寛永3年 / 和本 おそらく江戸時代。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。1857年 雲上明覧大全 検索:武鑑 武道 武具 装身具 馬具 兵器 武器 刀術 剣術 兵法 兵書 傳書 戦陣 甲冑 鎧兜 弓箭 弓道 支那 武士道 殺人剣。)
「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘の幾千姫(玉映)の落款。●極上和本YM2855●本朝千字文〈傍注〉嘉永年間再刊 原装題簽付・美本 戸川後学注 稀書往来物。
自筆上部のタテ長の印は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて
諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款。小村雪岱装丁本特集 日本遊里史 上村行彰 小村雪岱 初版オリジナル函 昭和4年 春陽堂 売春 遊女 花魁 吉原 風俗 芸者 芸妓 遊郭 木版装。
反対側の印は仙台藩医・木村寿禎の落款
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。華夷通商考 上下巻 長崎西川忠英如見子誌 元禄八年三月刋 寶永五年刋『増補 華夷通商考』全五册の傳本多かれども元禄八年初板傳本は稀。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。●極上和本YM2932●〈新板〉大坂進・返状 元禄頃刊 藤田板 稀書往来物 美本。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。●極上和本YM2789●彼岸状*北山村・樋口伊之輔15歳書 稀書往来物 仏教思想に関する珍しい往来物。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という若菜・下の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。大阪より満鮮北支へ/昭和11年/満州国・北支那/鬼が出るか蛇が出るか一行五56名/大阪財界を代表するあらゆる方面の人士を網羅した団体である。》
《ふしそ、》・・・・けに、ことわり」と、おほゆるふしを、やかて、
長く思ひつめて、深くえんせられしこそ、いと、くるしかりしか。1938年/戦時/宣言/古文書 検索:支那/七七/事変/蒋介石/国民党/汪精衛/維新政府/満蒙/満州帝国/日中戦争/関東軍部/中支/武動/銃後/総督府。
心ゆるひなく、はつかしくて、我も人も、うちたゆみ、朝夕の睦ひをかはさむには、
いと、つゝましき所のありしかは、「うち解けては、見おとさるゝ事や」
なと、あまりつくろひし程に、やかて隔たりし中そかし。【旧家蔵出し】★古書『漢詩講座 全5冊』昭和11年 臨江詩閣★(うぶだし/古文書/漢詩/和歌/和綴じ本/活版印刷/当時物)。
いと、あるましき名を立ちて、身のあはあはしくなりぬる嘆きを、
いみしく思ひしめ給へりしか、いとほしく、けに、人からを思ひしも、
我、つみある心ちしてやみにし慰めに、中宮を、かく、
さるへき御ちき(契)りとは・・・・《いひなから》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。新版 薬種名寄帳。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《准大上天皇として現世における極上の栄耀栄華を得た我が身を回顧する源氏の君》
《源氏の君、過去の華麗な女性遍歴を回想し論評する》
《(源氏の君)「中宮(秋好中宮・冷泉天皇の皇后)の御母の御息所(みやすどころ)こそ、
普通の女(ひと)とはまるでちがって、たしなみも深く優雅なお方の手本として、
真っ先に思い出されるのです。●極上和本YM2681●大和小学(山崎闇斎・万治3年初版・上村四郎兵衛板)初板本は稀書 美本往来物 女訓書。
けれども、私にはどうもお付き合いしにくく、お逢いするのが苦痛なお方でした。●極上和本YM2678●女芸文三才図会(5冊揃・天保12年)3代目吉文字屋市兵衛 鳥飼酔雅 稀書往来物 ゆうパック着払い。
わたしをうらめしく思うのも》・・・・当然、なるほどそれも仕方のないことと思われます。支那/国有鉄道/貨物数及収入/1916-1923年 検索:硬票/中華民国/京漢/鉄路/京奉/北平/前門/軍隊/国民党/北伐軍/南軍/本物/満州事変/南満鉄。
そのことを、そのままいつまでも思いつめて深くうらみ通されたのは、
私にとってはまったくつらいことでした。西伯利亜出征記念写真帖/シベリア出征記念写真帖/青島三船写真館発行/大正8年/第七師団藤井中小閣下/ロシア革命に対する干渉戦争の一つ。いつも油断がならず気づまりで、
お互いにくつろいで朝に夕に仲睦(むつ)まじく暮したりするには、
まことに気のおけるところがあったものです。●極上和本YM2885●〈冠注〉理学津梁〈一名、新実語教〉B 手島堵庵 上河淇水 天明2年・淡海治郎吉ほか板 石門心学。
ですから、こちらが気をゆるしでもしたら見下されはしないだろうかなどと、
あまりにも体裁をつくろっているうちにそのまま疎々しくなってしまった間柄なのです。画本虫撰 下巻 喜多川歌麿画 文政癸未(六年)八月刋。
まったくとんでもない浮名(うきな)が立って、ご身分を傷つけてしまったことが嘆かわしいと、
深く思いつめていらっしゃったのがおいたわしく、いかにもそのお人柄を考えてみても、
中宮(秋好中宮・冷泉天皇の皇后)の御母の御息所(みやすどころ)については、
わたしの罪のように思われました。Y3E2-240603 レア[四書 1~4 まとめて4冊セット 学庸・論語・孟子 上下 浪華書肆 文栄堂 積玉圃 柳原喜兵衛]。それが、あんなことになってしまった償いとして、
中宮(秋好中宮・冷泉天皇の皇后)を重用し、皇后としてこのように、
もちろんそうなるべき・・・・・《ご運勢とはいえ、とくに帝の皇后になるべくお引き立てをいたしました。緑柳五ヶ國草紙 上下巻 草双紙 山亭秋信作 歌川國綱画。》
備考1・源氏の君は先天的な優秀性のゆえに帝の寵愛を受けた。【一部写本の可能性あり】 論語徴 10冊セット(甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸) 物茂卿(荻生徂徠) 東都書林 松本新六・善兵衛 発行年不明。現在は、准大上天皇として現世における極上の栄耀栄華を得ている。江戸期和本■本願寺聖人親鸞伝絵 (御伝絵畧解)■揃2帖 仏書。
備考2:冷泉天皇は桐壺天皇と藤壺中宮の皇子としているが実際は源氏の君と藤壺の皇子。和本 箋註蒙求 上・中・下 3冊。東宮(皇太子)は、今上天皇として即位し、今上天皇と明石女御の御子は、源氏の君の孫、のちに次期天皇として即位する未来が開け源氏の君の栄華が際立つ。1810年 印譜 金石篆刻 印存 書道 封泥 朱印 雅印 遊印 雅号印 石鼓文 金文 篆印 官印私印 将軍印 落款印 花押 支那 唐本漢籍 呉昌碩 鄧石如。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。北蝦夷余誌■松浦武四郎■多気志樓蔵板。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。絵図(城郭図) 徳島県 阿波國 徳島城 (レターパックライト発送)。
《New Herbs Part Two(若菜・下)》
《Even when her anger seemed justified it lasted too long,》・・・
・・・・ and her jealousy was more than a man could be asked to endure.
The tensions went on with no relief, and the reservations on both
sides made easy companionship quite impossible.
I stood too much on my dignity, I suppose.
I thought that if I gave in she would gloat and exult.
And so it ended. I could see how the gossip hurt her and how
she condemned herself for conduct which she thought unworthy of her position,
and I could see that difficult though she might be I was at fault myself.
It is because I have so regretted what finally happened that
I have gone to such trouble for her daughter.
I do not claim all the credit, of course.
It is obvious that she was meant all along for important things.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《若菜・下》
以致怨恨越来越深,真乃痛苦之事!和相,得留意,
慎小心。@漢文 古籍 文字蒙求 検索: 唐本 漢籍 支那 玉扣 善本 線装本 木版刷 木刻本 竹紙 筒子頁 水印 殿本 套印本 木板印 宣紙 白棉紙 清朝 内府。欲彼此无所忌、朝夕相,似乎有不便之。絵図 (城郭図) 兵庫県 但馬國 出石城(レターパックライト発送)。
如果解,深恐被看;分慎小心,果遂成疏隔。骨董・龍門・拓本 :古書・書道 ID ㉓。
流了不的罪名,遭受了薄的,常常悲懊,
原是怪可怜的。淡路国名所図会・5冊/暁鐘成編・松川半山・浦川公左画/昭和9年/淡路国風景/天皇皇后陛下へ献上済・由良要塞司令部検閲済/和装本/図版豊富。我想起了的一生,痛感自己罪无可。戦前雑誌/日本及日本人/1931年 検索:絶版/関東軍生写真/満洲事変軍事地図/鉄道総督府/関東庁/新京奉天/支那/拓殖局/台湾/満鉄/満蒙古朝鮮。了罪,
我便竭力照的女儿。おくのほそ道 松尾芭蕉著 寛政元歳酉仲秋再板。女儿自有身皇后的宿命,
但竟靠我不世人,
中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・下の巻の末尾(原本番号107-B)の押印。頭書間註 普勧座禅儀 座禅用心記 合巻 吉田義山 編。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。日露戦役海軍写真集・第3集・海軍省認可/50図/明治38年/The Russo-Japanese Naval War Album/皆開戦以来我が海軍の戦闘及び運動の光景/日英。冬姫は内大臣・通誠の養女。●極上和本YM2780●〈和訓〉近道子宝(初板本系後印・須原屋板)平井自休作 観樹堂松隠書 初板本は稀書往来物。
冬姫は通称。●極上和本YM2666●小田原状(刊本・写本の2冊)稀書往来物。正式な名は伊達貞子。蕪村句集 上下巻 天保八年丁酉六月求版。2つとも貞子の印。@1841年 三体詩 検索: 支那 唐本 漢籍 漢文 漢詩 唐詩 宋朝 漢学 和本 和紙 木版刷 木板 写刻 木刻本 善本 水印 古籍 筒子頁 官本 線装本。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。【旧家蔵出し】★古書『瓶華図 まとめて18枚』明治期 池坊専明 池坊専正★(検:うぶだし/古文書/生け花/華道/木版画/当時物)-2。
左上端の細長い落款は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩文の印。●極上和本YM2914●〈首書〉今川絵抄〈御家流ひらがな〉元禄頃 本問屋喜右衛門板 稀書往来物。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。●極上和本YM2812●新撰百人一首 西村茂樹 明治16年 西阪成一注 原装・美本 ゆうパック着払い。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。東雅・5冊/新井白石/非売品/明治36年/中国の爾雅にならい国語の名詞を15の部門に分け和名類聚抄にみえる物名について語義の解釈をしたもの。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。陣中兵器業務の参考・5冊/部外秘/陸軍工科学校編/昭和13年/軍J。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。0026674 校正 韓非子解詁全書 巻3-10 8冊 加賀・津田鳳郷 河内屋喜兵衛 加賀藩 明治初刊。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・下の巻)MRI 35―46B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。浮世草紙 新薄雪物語 巻一・二・三・五(大尾)巻四欠 江戸期の恋愛小説。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)
「源氏物語」「若菜・下の巻」絵図、茶室関係資料
下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・下)」(源氏物語絵巻)
朱雀院(前朱雀天皇)の五十の賀を祝い女三の宮、紫の上、明石女御が演奏する「女楽」の有名な場面
上の女性三人のうち右から紫の上は和琴、明石の女御は箏、女三の宮の琴。弘化五年 和本 懐玉御和讃 全 京都 丁子屋 江戸期 古文書 仏教 真宗 経本 和讃。
手前の後ろ姿で琵琶を弾いているのが明石の君
上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)
上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例
「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款が押捺されている。アジア写真集・全6冊/南太平洋諸島・南海の明暗・熱帯植物産業写真集・印度・満州農業図誌・朝鮮博覧会記念写真帖/貴重写真資料の宝庫です。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。●極上和本YM2675●江戸和本●〈貞節教訓〉女式目(寛延4年)稀書往来物。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。戦争前後の欧州の内面観 昭15 日本外交協會秘密文書 ガリ版 旧日本軍大日本帝國海軍太平洋戦争空軍海軍航空隊軍艦兵法戦陸軍士官学校戦前NY。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。絵図 (城郭図) 愛媛県 伊予國 松山城(レターパックライト発送)。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。詩韻活法 乾 坤 瀧川 昇 明治十三年。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。防長名蹟・山口県写真帖/明治41年/写真師・麻生亮/山口県庁・歩兵第42連隊・豊栄神社・山口高等商業学校・東行庵・住吉神社・御幸松/和装本。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。●極上和本YM2671●便用謡(享保8年)稀書 謡曲 往来物 三浦久之丞庚妥 多彩な知識・教養を15曲の謡曲に綴った小謡本兼往来物。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。高崎連隊小史・明治40年2月19日・足尾派遣大隊詳報/復刻版・限定500部・非売品/中山 巳代蔵知事は第一師団長・閑院宮載仁親王に出兵を要請。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。和蘭語唐韻假字 オランダ語辞書。撮影後、展示のために再表装をしております。赤穂義士本博 銘々博 外博 非売品。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。【和本】鉄斎先生書簡集 晩清荒神清澄寺内真言三寶宗宗務所 昭和39年12月。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。【流麗・稀少!江戸期木版画和書】唐歌撰図抄等検中国儒教儒学孔子張子容陳祐王烈漢詩侍合戦国武将軍武者絵入浮世絵本天皇仏教古書籍歌舞伎。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。●極上和本YM2767●消息詞[為長卿消息詞]寺沢政辰 正徳4年 野田太兵衛ほか板 稀書往来物 美本。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。松風清社煎茶方式 乾・坤 煎茶道。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。蒙古襲来絵詞・4冊/大正5年/水野土佐守忠央の丹鶴叢書所収のものを基とし菊池容齋の控本を以て補修し帝室御物により校訂を加へ彩色を施せり。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。倭節用悉改袋増字 俟野通尚 纂補 西川祐信 遺筆 法橋西村中和 速水春暁斎 画 等 倭節用悉改袋。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。★絵銭譜 乾・坤 2冊★ワールドコインサービス 昭和41年★小泉健男。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。今川了俊愚息仲秋制詞之條々 商売往来の原作者流水軒観中筆。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。●極上和本YM2813●〈民家少年〉七福神利生伝 心学 段塚六郎左衛門作 文化7年 蓍屋宗八板 原装題簽付 稀書。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。●極上和本YM2815●女四書(明暦2年板・原装7冊本)辻原元甫作 往来物・仮名草子 美本 稀書 ゆうパック着払い。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。新板 曽呂里はなし 怪異小説の一源流 怪談 曾呂里物語。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。ソ軍戦闘法図解・4冊/偕行社/秘・関東軍研究書/昭和16年/軍J。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。【稀少!江戸期 繊細・流麗絵入多数 仏教書】親鸞聖人御壱代紀圖繪 検浄土真宗本願寺一向宗軍記浮世絵合戦国武将軍武者絵本木版画法然上人。母は後水尾天皇皇女女二宮。Y-0111 建武中興を中心としたる信濃勤王史攷 復刻版 上巻・下巻 2冊セット 信濃史学会 昭和52年12月10日/昭和53年7月31日復刻。実母は近衛家女房(瑤林院)。1936年 影本 集字聖教序 王義之 検索⇒珂羅版 玻璃版 旧拓 書道法帖 支那 印譜 法書 金石篆刻 王鐸 呉昌碩 原拓本 摩崖石刻 黄庭堅 趙子昴。幼名は多治丸。干禄字書 唐/顔元孫 宝永四年跋。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。●極上和本YM2883●莫妄想 石門心学 石田梅岩仮託 稀書。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。0026842 【和本 育児書】 聞驚都計子(ぶんきょうつけこ)五損道人 文政13年 17丁。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。今世俳諧百人集 一梅斎芳晴画評 安政五年刋 絵入り俳書。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。貨幣度量 中外比較考改正 六合魁 瓜生三寅。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。和本 音例 斎必簡。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。●極上和本YM2922●〈新板〉手習状并含状[初登山手習教訓書・義経含状](元禄頃)稀書往来物。
源氏物 Yunsh wy 典的 Jngdin de不昧公 公卿 肉筆 保障 保証 真筆 真筆 親筆 古筆 本物保証 本物保障 室町 掛軸 掛け軸 自筆 天皇 茶道具 宗鑑 良寛 伝来 歌仙 極め 極札 極め札 鑑定